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ゆとりがあること、自由な時間があることの大切さ

ゆとりがあること。自由な時間があること。

 

これらが大切だということを感じることが増えました。

 

きっかけをくれたのが、この本です。Slack(ゆとりの法則)です。もちろんこれまでの自分の仕事上の失敗から、考え方を変えた部分もあります。

shotarのバインダー - メディアマーカー

 

知的労働は、本来楽しいものです。しかし、ゆとりがなければ、なかなか新しいものを試験的に試すことができなくなります。今目の前にあることに、常に追われ続けてしまうからです。

 

こんな記事を見つけました。

フェイスブックは業務を自動化して社員を「過去の仕事」から解放した | HBR.ORG翻訳マネジメント記事|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー

 

ゆとりをつくるための、自動化。上記事例を見ましたが、これは個人的に素晴らしいことだなと思います。

 

ダラダラ職場にいるだけ。これほど無意味なことはなくて、早く仕事終わらせて、気兼ねなくデートしたい(デートじゃなくてもいいですがw)がために、自動化するという知恵を働かすことのほうが尊いというのが僕個人の考えです。

 

ダラダラその場にいて、頑張ってそうな雰囲気を出す、仕事している感を醸し出すことにどれだけの価値があるでしょうか?

 

ひたすら、ずっと気合いだ、気合いだとやるのは間違っています。

 

楽しい仕事にもなりません。ただ全く何もない最初の段階のときに、えい。気合いだ、気合いだとやる瞬間が必要で、存在することも事実です。それこそ最初に先陣を切っていく、起業家のやるべき仕事でしょう。

 

最初のその仕事は、知的にはあまり楽しい仕事だとはお世辞にも言えないし、人から拒絶され。断られる回数も凄まじい数出るので、喜んでそれを最初出来る人は少ないというのも事実あると思います。断られることが当たり前という感覚がそこで芽生えます。

 

ただその時期というのは、本当になにかを1人で試験的にやっているだとか、そういう時期です。なので、感覚的には、一生懸命、それだけに集中したとして、半年か1年くらいな気がします。そこまで踏ん張れば、ある程度どういうことに力を割くべきか?どんな方向性を目指すべきかつかめると思います。

 

その後は、きちんと事業としての利益を出し(これがなければゆとりはつくれない)、そこできちんとゆとり(個人個人が新しいことを体験(初デートや初旅も含みます)したり、学ぶ時間や議論する時間など)をつくることが必要だと思います。

 

自分が感動したことがない人に、人を感動させるようなものは創れないという考えが僕の根底にはあります。感動するための、ゆとりの時間は必要なものです。学生の頃だけに留まらず、将来感動するためのゆとりの時間が必要です。

 

そう考えるようになったのは、自分の実体験がベースにあります。100%フル稼働で仕事をしていると、一見すると非常に効率的な気がします。しかし、これが必ずしもいいことではないと今の僕は考えています。

 

フルで稼働していると、新しいことを試せないのです。また疲れるので、本当にこの仕事自体やる必要あるのか?だったり、この仕事自動化できないのかな?という視点が持ちにくくなります。

 

またすぐに手っ取り早くなにか優れた製品を生み出すのは、無理なことです。ものづくりは、そんなに簡単なことではありませんし、そこには必ず投資の時期が必要になります。ある日いきなりなにか凄いことがポッと出来るようになるなんてことは絶対にありません。

 

ものづくりにおいて、一見すると、関係性のなさそうなことでも、以前考えたこと、実験したことが後々生きてきて、つながるというケースが多いように思います。いきなりパッとどこからか出てきたように見える革新的な製品も、実は裏側には膨大な数の、トライ&エラーが 潜んでいます。製品開発の過程において、数多くの学びがその裏に存在しているのです。

 

製品もそうですし、それを創る人達もそうです。いきなりパッとなにかができるようになることはありません。常に学ばなければなりません。待つ、耐える時間は必ず必要になります。

 

自戒を込めて言うと、逆にそれを逆手にとって、できない言い訳の盾として、ものづくりすることはよくないと思いますが、耐え忍ぶ時期が必要であることもしっかりと認識する必要があると、今の僕は考えています。

 

そもそも本当に考える度合いの高い仕事となると、場所は本当に関係なくなってきます。どんなものが人に喜ばれるのか?といった問いだったり、自分の中にアンテナ(仮説と僕は表現することもあります)を張っているので、正直どこであろうが、あまり関係がないのです。

 

本当に大きな課題に挑んでいるときは、常にワクワクしています。

 

だから、どこでもかしこでも、今考えているアンテナにヒモ付けて、物事を見て、考えています。そして、考えたことをベースに行動にすぐに移します。

 

詰め込みの受験教育のように、答えのある問題を解く訳ではないので、とにかく詰め込み、目の前のことだけをやればいいというものでもありません。詰め込みがなければ、発想が出ないので、詰め込みが大事な側面があるのも実際はあるのですが。

 

一定以上の詰め込みがされていない状態で、思考しようとしても思考する素地がないたので、適切に思考ができないからです。

 

といっても、単にゆとりだ、ゆとりだとして、自分を甘やかして、堕落しすぎてもいけない。ここが本当に難しいところですが、このバランスをとるのが上手い人と、下手な人がいると思っています。

 

自己管理が出来る人というのは、このバランスをとるのが本当に上手です。

 

ちなみに僕は、一つのことにだけに極端に偏りがちになりやすいので、自己管理はあまり上手くありません。自覚があります。悲しいです。

 

ここでスラムダンク読者の方であれば、ベストの心理状態とは、山王戦のときの湘北高校の精神状態にあるというと、ちょっと伝わるかもしれません。

 

SLAM DUNK(スラムダンク)山王戦試合前 25巻の感想やレビュー | コミック・漫画@俺達的レビュー

 

急がなければ、急がなければ。マネージャーに怒られる、怖い、怖い。こんな精神状態ではいいものは創れません。適度な緊張感があって、自分はやれるという適度な自信があって、今挑戦していることに意義を感じている。

 

そしてそれぞれ得意な分野のある人たちが、全体として、目指す方向だけはしっかり理解していて、あとは勝手にやる。

 

「自分たちは何者であり、何を成し遂げようとしているのか?」

 

ここだけは同じところを見ている必要があって、それぞれが持ち寄る武器はそれぞれ違っていい。むしろここは違っているべきであって、自分たちが何者であり、何を成し遂げようとしているのか、それ以外の部分の考え方は当然違っていていいし、それが健全な姿だと思います。

 

逆にこの部分が一致していなければ、チームで一緒にやっている意義は存在しません。

 

多くの違いを許容するために、違っていることが許容されないたった一つのこと。それが「ビジョン」なのだと思います。

 

全てを統一しようとする姿勢は悪だと思いますし、僕自身嫌いです。みんな同じ制服を着ようとか、みんな同じ考え方をしようとかが具体的には嫌いでした。違って当たり前ですから。

 

そもそも全く同じ考えの人などこの世に存在するはずがないし、いたら気持ちが悪いです。そいつ(自分のような人)とは付き合いたくないと自分でも思います。

 

得意なところが違う人達が補完し合っていて、勝手に頑張っている状態が一番そこに関わっている個人にとっても、組織全体でみたときにも、素敵だと思います。

 

マネージャーの仕事は、管理しないことだというふうに思います。

 

つい仕事している気分に浸りたくなり(本当は仕事などしていない)、カッコつけたいがために、管理している風のことをしたくなる気持ちが、マネージャーという人種にはあります。常にこの誘惑に打ち勝ち、なにをやってるんだ自分。それは違うぞ!と戒める必要があると、反省しています。

 

今の段階では、これが最善で、もっとも良いやり方だと僕は思っています。また気づきを得て、変わる部分があるかもしれないので、そのときはまたブログを書きたいと思います。