平成の坂本龍馬を目指して

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うぬぼれや反省しなくなることへの恐怖

これほどに怖いことはないというのがあります。

常に自分は間違っているというような、謙虚に自分を戒めることができていなければ、すごく危険な兆候だという恐れがあります。

人から注意や指摘をもらえなくなるということも、その人はすでに何を言っても変わることはないからと諦められている状態です。

悲しいですが、言っても変わらないと思われてしまうと、人からは何も言われなくなります。

言われないならいいかも!とか思うかもしれませんが、これはすでに自戒する機会を自ら失っているようなものです。破滅の日も近い気がします。

好きの反対が無関心であるの境地に近いものがあります。

難しいのは、先が見えないなかで、なにかをやろうというときは、根拠なき自信のようなもの、大丈夫だと思えることも必要だということです。うぬぼれてはいけないのですが、自信は持っていなければなりません。

自信のない人には、巻き込む力がありません。これをやるんだというときには、一種の自分で自分を洗脳し、物事を進めていく必要性があります。自分でさえも信じていないものを他の人にも信じてみない?と訴えかけることはできないからです。

中庸という概念が最近しっくりくるようになってきました。物事は、正直なところ、厳密にいってしまえば、白か黒かではないことが多いです。

常に偏らずにいる、相反するような性質を自らのなかに内在させておく。例えば、

優しいだけでもいけない。怖いだけでもいけない。

真面目なだけでもいけない。楽しんでいるだけでもいけない。

融通がきかないだけでもいけない。軸がないだけでもいけない。

ということです。

しかし、なにかを見えないなかでやろうとするとき、そこには熱量と惹きつけるものが必要です。そのとき、明瞭かつ偏りのあるようなメッセージでなければ、人を惹きつけにくいメッセージになります。

小さな政府もいいし、大きな政府もいいよね!

というだけになると、結局なにするの?って話になりますし、評論家になります。

なにかに挑むとき、それは偏りが出ますが、こちらのメッセージのほうが惹きつけられるはずです。

大きな政府の時代は過去のもの。各人が自律した社会を小さな政府で実現しよう。

というメッセージ。どっちが人を惹きつけるでしょうか?

正論だけの話はつまらないということにこれは似ています。特定の人からは反発を受けたり、拒否反応を示されるようなメッセージには、嫌われもしますが、一定の人を惹きつける力があります。

まとめます。

個人的な考えとしては、ビジョンや理念といったものに関しては、中庸ではなく、偏った、人を惹きつける力があるものを設定し、語るべきだと思います。

しかし、それ以外の考え方や価値観、行動基準などに関しては、偏った言い方は避けたほうがいいと思います。

理由は、偏った言い方はそれを受けつけない人を生むものだからです。

中庸であり、常に自分を戒めることが必要だと思います。

自戒を込めて。